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PROJECT-凛- 完全版 良い音楽を作るだけでは、音楽業界でプロとして生き抜くことはできない。ヒットチャートをねらう舞台裏では、作家やアーティストだけでなく、決して表には出ないスタッフたちの心血が注がれているのだ。この連載は、そんな舞台裏のエピソードをゲストに語ってもらってきたが、最終回となる今回は、聞き手とゲストが逆転。本誌「島崎塾」の塾頭である島崎貴光氏が、業界の内幕を赤裸々に語ってくれた。

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ゼロから1を作る作家、1から100を紡ぐプロデューサーとは?

聞き手:凛(アーティスト)
ゲスト:島崎貴光(プロデューサー/作曲家/作詞家)





小室哲哉に憧れてシンセを始め、同級生に感化されプロを意識する

: まずは、音楽を始めたきっかけを教えて下さい。

島崎: きっかけは、小室哲哉さんなんですよ。TMNの最後のライブを東京ドームで見て、ありえないくらい格好良くって「これはシンセをやるしかない!」って。それまでは、ギターを弾いていたんですけど、これは「シンセしかないだろう」……と。しかも、それまでは当然ただ音楽の聞き手だったんですけど、「これは聞いているだけじゃない…作らなきゃ!」……と。

: 発信したくなった……と。

島崎: そうそう。で、当時20万ぐらいのシンセサイザー「EOS B500」を買いまして、いろんな曲のコピーを始めて「家で黙々と宅録」という、引きこもって作るような生活になったね。でも、それではマズいと思って、とにかくいろんなバンド募集の所に飛び込んでいって「弾かせてくれ」と。

高校生活3年の間で、いろいろなバンドのサポートや制作をやりました。それこそ、ロックも、メタルも、ファンクも、ヒップホップも、演歌も(笑)。

: とりあえず何でもやってみようとしたんですね。

島崎: そう。でもそれはなぜかと言ったら、ちょうど小室哲哉さんがプロデューサーの時代で、とにかくシンセサイザーで打ち込みやっていると「小室さん(を目指してるORコピー)でしょ?」と言われる。それをなんとかしたかった。

: 打破したかった?

島崎: うん。だから、ワザと生っぽい音楽性のところに飛び込んでいったし、家に帰れば、キチンと打ち込み的な曲を作っていった。両極端の音楽をすることで、「俯瞰的な目を持とう」としていた部分があったんですよ。結果、自然に「自分でオリジナル曲を作る」という結論になっていた。

: 自分で作るようになって、どう変わりました?

島崎: 1番デカかったのは、高校生の時ね、タメなんだけど、師匠的な人が隣のクラスにいたんですよ。

: 高校生で師匠! 素晴らしい出会いですね。

島崎: そう。その人のいる隣の教室にね、休み時間に僕はデモテープを持っていって「聴いてくれ」……と。すると次の授業が終わる時には、ルーズリーフにアドバイスを書いてくれたのね。それで僕はどんどん直して、また聴いてもらって…っていう生活を、高校生の時はひたすらしていましたよ。

 彼は、一人で作っていたら絶対に見えなかった部分っていうのも、ホントにハンパなく厳しく書いてくるから、「ここがいけないんだ」……と、自信があるモノを出しても「ダメだ」……と一蹴されてしまう。そういうもので結構鍛えられましたね。それを今は「島崎塾」で僕がやってる感じです(笑)。

: でもその人の音楽が凄かったから、ちゃんと受け止められたし、レベルアップしたんですよね?

島崎: うん。とんでもなく大人の考えと広い視野を持った人だったのね。彼の影響を受けて、自分も「ただ作っている」っていう狭い目線ではなく、プロっていうものを意識しだしました。

: それが高校の時? すごい早く気付かせてもらったんですね。

島崎: うん、高校生の時に「これはプロになるしかないな」って思った……という意味では、今でもすごく感謝していますよ。




プロを目指し1日新曲を30曲聴く

: プロを意識してから、何か変わりました?

島崎: まず心がけたのは、ジャンルに捕らわれず1日新曲を30曲聴くってこと。まだカセット全盛の時代に、お金が許す限りひたすら借りようと思った。でもウチの近くにあったレンタルCD屋はすごい小っちゃかったの。だからそこで、片っ端から借りていったら、高校卒業する時にはホントに借りるモノが無くなった。

: わかります。

島崎: 特にその時はシンセの曲をやっていたから、ダンスミュージックっていうのは全部聴いてやろうと思って。で、ヨーロッパのヒットしたものは毎週順位を調べ、それを片っ端から借りてカセットに録音していた。登下校の時とか、もう時間があれば常にウォークマンをしていた……っていう生活。

 その時は、ベースの音だけとか、スネアの音だけとか、とにかくマニアックな聴き方をしていました。だから、たぶん僕は今でもいろんな音楽が好きだし、変なこだわりなく「格好いいものは何でもいいじゃん」って思っている。だからキーボーディストのクセして、メタルとか大好きだし……結構ビックリされるんだけどね。

 とにかく、高校時代に毎日30曲聴くっていう目標を立てたから、いろんな曲も聴けたし、曲の良さも分かってきたんだなぁ……って思っていますよ。

: 制作活動的には何をしていました?

島崎: 高校時代は音楽を黙々とやっていたけど、高校時代って、すごい頑張っていてもただの素人でしょ? いくら頑張って評判良くなっても素人、でも僕は、やっぱり自信を持っていたのね。ところが僕がプロとか、セミプロと出会っていくとね、やっぱり全否定されるわけですよ。

: そのプロ、セミプロに、イケてると思っているモノを全否定?

島崎: 「へぇ~、これがデモ?」みたいな。こっちは、すごく頑張って作っているのに(笑)

 それで、ちょっとまた負けそうになったんだけど、地道にいろんな人と出会いながら曲を作っていました。でも、その時に「自分一人じゃやっぱり音楽って作れないなぁ」って思ったわけです。そう思って、周りに知り合いを増やさないといけないと思った。

 じゃあ、どうするかっていった時に、変な音源を作ってもそれだけで判断されちゃうから、キチンとした音源を作らなきゃって、10曲ぐらい音源を作った。それは何の音源かというと、人を集めるためだけの音源。「僕はこういう音楽作りますよ、一緒にやりませんか?」って。

: 自己紹介的な?

島崎: そうそう。名刺代わりを作って。で、そうしたら、今でも付き合いがあるようなプロの人とかセミプロとかに出会ってね。「将来プロになろうぜ」って頑張っていましたね。




D・A・Iさん(長尾大)との出会い

: プロへの道は、どうやって開いたんですか?

島崎: ちょうど僕もアーティスト活動がやりたかったから、Jam Creaっていうユニットを組みました。僕とギターとボーカルの男子3人だったんだけど、ボーカルが家の事情で脱退して、僕とギターが残ったわけですよ。ホントに「その3人でデビューしようねって」活動していたんだけど、ボーカルが抜けてしまって「じゃ、どうするか」って言った時に、「僕とギターで曲ごとアレンジができるんだから、とにかく曲を作ろう」となって、音源制作をメインに、また引きこもりの時期に入るわけです。

 やっぱり、すごい不安なわけ。2人で黙々と曲をひたすら作っていても、どこに発表するわけでもないでしょ。で、自分としても、こんなコトをしていても「日本の誰もが自分たちのことなんか知らない」とか思いながら、それこそホントに潰れそうになりながらやっていた。

: 収入とかはどうしたんですか?

島崎: 当然食べるためにバイトもしたけど、なるべく音楽での収入を得たいと思って、スカイパーフェクTVで、多くの番組のジングルとか、オープニング、エンディングを作ったり、ファッションショーの音楽や舞台音楽とか、音楽で仕事になるものはなんでもやりましたね。即発注があって、その場で作曲とアレンジをして、納品……って形の仕事が多かったから、そのうち「納品が数時間後」って言われてもビビんなくなった。で、そういうのも経験して、一方で自信をつけながら、一方では家に帰ると孤独な作業。もう「精神状態がおかしくなるよね」って思った。

: どう解決したんですか?

島崎: デビュー前のDo As Infinityが、路上ライブを渋谷でやっていたんですよ。僕は、まだエイベックスって名前も隠して、お客さんが10人とかの時から見に行ってて、一緒にビラとか配ったり、宣伝手伝ったり(笑)。で、そこでコンポーザーのD・A・Iさん(長尾大)に自分が作ったデモCDを渡して「聴いてください」と頼んだの。

: 結構すごい行動だ!

島崎: そうそう。でも自分としたら何とかプロになる手段をつかみたかった。僕は路上ライブで見て「すごいいいなぁ」と思ったし、実際D・A・Iさんが浜崎あゆみさんに提供して、すごいヒットとか飛ばし出していた時だから、曲を作る人間として話も聞きたかったし。それから返事を頂いて交流させてもらって、定期的に聴いてもらうようになって、その後、制作の手伝いもさせてもらったり、いろいろな現場を見せて頂くようになりました。そのなかで一番学んだのは「アレンジがどう」とかではなくて、何て言うんだろうなぁ、D・A・Iさんの周りってやっぱり有能な音楽の人たちがいて、みんな「本気で音楽が好き」だというのと、「続けていくことの重要性」を学べたっていうのがあった。

 また、家で黙々と60曲とか作っていた時に、今までで1番孤独になって自信も無くなっちゃった時があって、D・A・Iさんに「もう自信がなくなりました」みたいなメールを打ったの。そしたら、「明日、手元にある音源を全部、何曲でもいいから持って来い」と。で、翌日に聴いてもらったら、「絶対、島崎は出るから、負けるな」と言ってくれたんですよ。そこで、勇気もらって帰って、翌日に届いたメールに「継続は力なり」って言葉が書いてあって、そのひと言で、もう1回頑張ってみようって思ったのね。そのひと言がなかったら、もしかしたら僕は音楽辞めていたかもしれないですね。




作家としての現実を知る

: そのがんばりが、例のデモCDに至ったんですね。

島崎: そう。結局CD4枚組、60曲入りっていうデモができて、分厚い「Musicman」っていう有名な音楽本に載っている事務所とかに、相方と一緒にね、片っ端から配っていった。CD4枚組だから、重いし、送料もすごいの。郵送代とCD-R代だけで十万円近くだから2人で折半してさ。

: 先行投資だと?

島崎: そう。有名な事務所やレコード会社からも返事があって。で、デビューに向けて活動をしていたんだけど、紆余曲折あって結局デビューに至らなかったわけですよ。

 で「業界はいろいろあるよな」と思ってね。ギターの人は、そこで辞めたのね。

 でも僕は「作家でやった方がいいよ」って言われて、自分に何ができるんだろうって思ったら、曲は書けるし、詞も書けるから、じゃあ作家っていう道を目指そうと思った。でも、「ミュージックマンに載っている会社には全部送っているし」と思っていたら、なぜか一番行きたくて赤丸をつけていたスマイル・カンパニーに送ってなかったの。「うそ~ん」と思って送ったら、すぐに現マネージャーさんの神田さん(PROJECT-凛-第一回登場)から「もう決まっちゃいましたか?」って電話が来た。そこで、ついに作家としてやることになったんですよ。

: 実際に始めてみてどうでした?

島崎: まず、コンペというものに出すようになって、「2~3作出せば採用されるだろう」と軽く考えていたんだけど、甘かったね。もう全然採用されない。1作目に自信作を出したら、神田さんに「これ出すの?」って言われて、一瞬意味が分からなかったけど、「ホントにこのデモで、君はコンペに出すのか?」っていう意味だったの(笑)。

 そこで現実を知り、いろんなアーティストをキチンと分析するようになりました。それから、コンペの締め切りって多い時は一週間に2~3曲来るのね。でも絶対スルーしないで作ろうって決意していたから、とにかく倒れながら3~4ケ月やったの。そしたら、やっと玉置成実さんの「Distance」って曲で採用が決まった。それも僕は作曲だけかと思ったら、詞もキチンと書いていたお陰で採用になった。どちらも評価してもらえたし、自分は行けるんだって思って、そうしたらまた俄然やる気になるじゃない?

: 結果が出た訳ですからね。

島崎: そうそう。それでコンペに出しまくっていたんだけど、半年間まったく音沙汰がないわけよ。その間2~30曲ガンガン出しているのよ。だけども反応がない。

 そんな時、年末に例の60曲入りの音源から一気に「シングルで2曲使いたい」と採用されて、過去の自分が苦し紛れに作っていた音源からも採用されるってことは「過去の自分が作ってきた曲に、間違ってなかったんだな…一生懸命作っていて良かったんだな」って、すごく自信になった。




レコ大受賞からPROJECT-凛-へ

凛
: 私も関係する「PROJECT-凛-」をやろうと思ったいきさつは?

島崎: 僕の仮歌を凛がやってくれていて、それから凛をプロデュースしたいと思って、音源を作り始めた。ほら、作家ってゼロから1を作るでしょ。でも、それだけじゃなくって、リスナーの耳に届くところまで責任を持ちたくて、1から100までを紡いでみようと。それから気心知れたミュージシャンたちとスタジオに入ってセッションしたりして、少しずつ形にしていったの。作家としても、去年40作品近くリリース出来て、さらにレコ大金賞を2つも受賞できて、この勢いを無駄にしちゃいけないなって。やっぱり本格的に「PROJECT-凛-」をやるしかないでしょう、っていう決意に変わった。去年の年末の渋谷BOXXライブに参加させてもらって、業界関係者たちからも評判も良かったし、手応えも感じ始めていたんだよね。しかも、ちょうどスマイル・カンパニー内でレーベルを作るというので、チーフの渡邊さんが「メジャーの前に1度CDを出さないか?」っておっしゃってくれて。そのおかげで、9月12日にミニアルバム「凛として…」という7曲入りCDを出すことになったわけです。感想はどうです?

: なんかゲストに逆戻りしていますけど「力強い」……かな。唄い方もそうだし、聴いた時に全部シングルで切ってもおかしくないぐらいのポップさと、ガツンとくる感じと、わかりやすさ、を持った楽曲だと思いますね。BGM的に流してもらうよりは、一曲一曲キチンと聴いてもらいたい。

島崎: そうだね。僕は「歌姫イコールR&B」っていうのを壊したくて、それを「PROJECT-凛-」でやっているのもある。だから今回のアルバムには癒し系のホンワカするような曲をあえて作ってもないし、全部ガツンっていうのはワザとだから、人によっては「ウッ」ってなるのかもしれないけど、一小節でも一秒でもいいんだけど「オッ!」っていう部分があるといいね。

 まずは、名刺代わりに7曲詰め込んでいるので、ちょっと聴いていただければと思います。




プロを目指すために必要なものは?

: では、最後にプロを目指す人に向けて何かアドバイスを。

島崎: 今回まで5人やっているけど、みんな言うことって、ひとつしかなくて「継続は力なり」なんですよ。D・A・Iさんの発言じゃないけど「とにかくやれ!」って。

 本気でプロを目指そうっていう人たちに言いたいのは、好きで始めるって結構覚悟がいることだと思うのね、で「1度覚悟したなら、最後まで続けたほうがいいですよ」と思う。辛くても続けていればそれを越える時って必ず出てくるし、「いいよね」って言ってくれる人も、一人はでてくると思う。オリンピックは4年に1度しかチャレンジ出来ないわけだよね。1度駄目なら、また4年後。そのためにみんな凄まじい努力をする。それに比べたら僕らは、常にチャレンジ出来るはず。

: それはすごくそう思う。

島崎: あとは、一人では作れないから。僕が名刺代わりに曲を作っていろんな人を募集したように、「当たって砕けろ」じゃないけど「こういうのをやっているんだけど手伝ってくれませんか?」って言う勇気、があっていいと思う。「必ず売れるように頑張るから手貸してよ」っていうような。

 そこから、信頼関係も生まれてきて、切磋琢磨しながら、お互いが成長してゆけると思う。だから、気の合う人だったり、夢を共有できたりする人を、最重要事項として捜してほしい。仲間や自分が尊敬できる音楽人を捜すことと、自分を尊敬してくれる人や、「いいね」って言ってくれる人と一緒にやることですね。

: 夢をあきらめるべき時はないんですか?

島崎: 自分の実力を客観的に判断してくれる人に見てもらわないで、一人でがむしゃらにやっていたら、ただ無駄に年月が過ぎていきます。

 ほかの人のクオリティを知ることで、自分で判断することもできますから、客観的に自分の作品を見つめる勇気を持つことが大切でしょう。

 DTMマガジン見てもいろんな音源が載っていて、あ、これくらいのレベルで作っているんだ、とか分かる訳ですし、インターネットでも他の人の曲とかも聴けますしね。だから、たとえ夢を諦めるにしても、続けるにしても、自分の実力を判断する基準って、すごく自分の近くに転がっているんじゃないかな、って思います。それを知って周りと自分の比較する勇気を持つことも、自分の駄目さを把握することも、大事だと思います。みなさんも、「継続は力なり」を信じてがんばってください。今までありがとうございました。




<島崎貴光プロフィール>
w-inds.・玉置成実・中ノ森BAND・少年隊・MAX・ユンナなど数多くのアーティストに作品を提供する作詞家・作曲家・サウンドプロデューサー。2006年度レコード大賞「金賞」を2作品にて同時受賞。ソロボーカリスト「凛」の楽曲提供・プロデュースを行ない、9月12日に全7曲入りのミニアルバム「凛として...」をリリースする。



デビューミニアルバム
「凛として...」

2007年9月12日発売
価格:2,100円(税込)
SmileSoundS/SmileCompany XQBZ-1006
凛として... 収録楽曲
1『VOiCE』
2『フリージア』
3『迷える磁石』
4『シンシアリー』
5『暁』
6『マグマ』
7『凛として... 』


⇒「凛」公式blog

凛 ミニアルバム「凛として...」
全7曲ダイジェスト版(凛コメント入り)


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